2021年

2021年12月20日

「世界でいちばん幸せな男」エディ・ジェイク⁡
ホロコースト、600万人。
何度も何度も泣いてしまう。

これらの悲惨さを前にして私はうろたえるばかりだ。⁡

 死、そして死そのもののような悲惨さを奇跡のように通り抜けてきた。

いかなる渦中にあっても、同胞を優しくいたわってきた。時には死を賭してまで。なぜ。

「苦しんでいる人を助けるのは幸運な人の務めだ。受け取るより与えるほうがいい」

殺された父の教えを守った。

「人生で大切なことがひとつある。幸運は分け与えるもの。それだけだ」

⁡ エディは温かい毛布にくるまれ両手で抱きかかえられ、連合軍の兵士によって救われた。

「その日から自分は世界一幸運な男なのだと気づいた。そして誓った。今日から人生最後の日まで、幸せで、礼儀正しく、人の役に立ち、親切に生きよう。笑顔でいようと」

⁡ オーストラリアに移住し、やがて誰にも話さなかった悲惨な体験を語ろうと思うようになった。

「なぜわたしは生きていて、ほかの人たちは恐ろしい最期を迎えたのか。最初は、神、あるいは偉大な力のようなものが、人を選びまちがえたのだと思った。わたしが死ぬべきだったのではないかと。しかしそのうち、こう考え始めた。ひょっとしてわたしがまだ生きているのは、それについて話す責任があるからではないか。憎しみがどれほど危険か世界に教える義務があるからではないか」

「一輪の花を咲かせるのは奇跡だ。しかし一輪の花を咲かせられれば、もっと多くの花を咲かせられる。一輪の花はそれだけでは終わらない。大きな庭の始まりなのだ」

「生きているのは幸運だ。それを忘れてはいけない。その意味では、いま生きているだれもが幸運だ。ひと呼吸ひと呼吸が贈り物だ。人生は美しいものにしようと思えば、美しいものになる。幸せはあなたの手の中にある」


2021年12月3日

「たどりつく力」フジコ・へミング⁡

 「ラ・カンパネラ」(鐘)を演奏するピアニストを、何十人か聴きくらべてみた。
強弱や速さ、荒々しさや静けさの表現など、はっきりと分かったり、変わらなかったり。「ぶっ壊れそうな『鐘』があったっていいじゃない。私の『鐘』だもの。この響きを聴いて涙を流してくれる人だっているんだから・・・」
「多少のミスタッチなど気にしません。音を少しくらいはずそうが、指がすべろうが、たいした問題ではないからです。むしろ音楽を全体を大きくとらえ、音で絵を描くように表情豊かなピアノを紡いでいくことを心がけます。」
⁡ 
 砂糖水だけを飲んで生活したり、好きなピアノのために多くのアルバイトをして生計を立てた。
喜びや苦々しい想い出の多くが、一つひとつの音に込められていく。
「体験したすべては音楽となって表れる。」
「ショパンの演奏は、一にも二にもルバートが大切。」
「ある種のノスタルジーを感じさせ、香り高く、エレガンスの衣をまとい、聴いてくれる人たちが得もいわれぬ至福の時を過ごせる音楽。
音符と音符のほんのちょっとした間、リズム、音の揺らし方などにも個性が表れ、技巧に頼って突っ走る弾き方ではけっしてない。
ショパンやリストが生きていた時代、馬車が行き交う速度を思わせるテンポ。断じて現代のクルマ社会の速度ではない。そうした奏法が私の目指す音楽です。」

⁡ 黒澤明の「生きる」という映画がある。
雪の降る夜、主人公の渡邉はブランコに乗って「ゴンドラの唄」を呟くように歌いながら死んでいく。
また、ロマン・ローランの「ジャンクリストフ」の中にも、印象的な描写がある。
「突然暗い中で、ゴットフリートが歌いだした。胸の中で響くような 朧ろな弱い声で歌った。少し離れると聞こえないくらいの声だった。しかしそれには心惹かるる誠がこもっていた。声高に考えてるともいえるほどだった。あたかも透明な水を通してのように、その音楽を通して、彼の心の奥底まで読み取られる、ともいえるほどだった。
クリストフはかつてそんなふうに歌われるのを聞いたことがなかった。またかつてそんな歌を聞いたことがなかった。」

⁡ 私は素晴らしい音楽に出会うと、この二つの情景が重なり合う。
誇り高く、自分らしく、優しく、厳しく。
集めることなく、与え続ける。
アーティストはそれぞれの高みを目指して、決して満足することなく与え続ける。


2021年12月2日

「独立国家のつくりかた」坂口恭平

坂口さんは隅田川の路上生活者を見て、考える重要性に気づく。
「路上生活者たちはそれでは生きていけないので、自動的に自分で考えることを始める。僕は彼らの『考える』という行為を見ていて、どうやら僕たちは何も『考えていない』ということを知った。匿名化したシステムの内側にいるかぎり、考える必要がないのだ。」
「僕たちが『考える』ことを拒否するから、政治や行政は暴走するのである。故障するのである。」

 アメリカの政治史をみると、1891年(明治24年)にポピュリズム運動が起こった。
これを人民主義運動と言う。
しかし、この運動を都合がよくないと考える人たちは、東部の新聞を使って「大衆迎合」という言葉に置き換えた。
人気取りの大衆迎合や利益誘導と喧伝し、政治の反倫理的行為と言い換えた。
今も大衆迎合主義と信じて疑わない人たちは、アメリカや日本にも多いが、語源から考えてもpopulistは人民主義者であり、全く反対の意味である。
誤魔化されずに考えることがいかに大切か。

「人は『試す』ということをしない。すぐに思い込む。」
そうそう、その通り。
考えることは面倒くさいし、私は及ばない。
コンベアに乗った方が楽だし、それゆえに安易な方向に流されてしまうことを知っている。

 でもね、いっぱしの倫理は持ちたいと思う。
だから、坂口さんに共感する。
「この無意識だらけの無思考な社会が、居心地がいいわけないのだ。そこにはたくさんの無視が存在している。差別が存在している。階級が存在している。貧困が存在している。」
「無意識に判子を押したら駄目なのだ。神は細部に宿る。」

 1863年11月19日、私はゲティスバーグの彼の演説と先の大戦が重なり合う。
「ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。」

⁡ 

2021年11月1日

「おいしい資本主義」近藤康太郎

「世界は、どちらの方向へ向かおうが、良くも悪くもなりはしない。世界は常に醜く、生きるに値しない。ただ、世界の、人間の、真実を見つめるだけでいいんだ。」

 朝日新聞本社から田舎への異動願い、そして長崎県諫早市の支局へ。稲作を当地の師匠から教えてもらいながら、朝1時間の田んぼ作業を始める。米作りはムラの共同体社会あってのことだと肌で感じ、かつての日本社会を賛美する。

「資本主義という怪物に、力なくからめとられるだけが、人生なのではないんじゃないか?」

「大きい者、強い者が、さらに大きく、強くなる。資本主義とは<蓄積>がすべて。」

 私は、総じて著者の歯痒さを感じる。マルクスの闘争や新自由主義の系譜は、単に格差を生み出しただけだ。現実は、善悪ではなく、力によって作られる。アメリカの民主主義は常に大統領選挙に集約され、その権力はまさに善悪ではなく、力によって奪われる。彼らは対立を起こし、衝突、戦争、破壊を仮面のウラに隠し、競争による発展をこれでもかと鼓舞する。古きものの死滅、新しきものの讃歌。朝鮮動乱やヴェトナム戦争の欺瞞。ウォーバーグの悔悟、フーバーやトランプの無念、マッカーサーの悟りと甘受。

「『成長よりほかに道なし』というスローガンに酔えないなら、『飢えるのがいやなら低賃金で働け』とあからさまに押しつけてくるネオリベにふざけんなと思うなら、そんな社会にはあっかんべして、すり抜ける。」

 自然破壊に対しては、レイチェル・カーソンの言葉を引用する。

「自然を改変し、破壊するほどの力を持ったいま、自然に対する人間の姿勢は、決定的に重要です。しかし、人間は自然の一部であり、自然に対して戦いを挑むのは、不可避的に、自分自身に対して戦いを挑むことともなるのです。」

「われわれ人類は、かつてなかったように試されている。成熟すること、統御することを試されているんです。自然を、ではない。我々を。」

 シベリアの凍土は恐ろしいほどの速度で溶け、サイやマンモスの骨が露出し始めている。同時に、恐ろしい副産物は未知の病原菌や炭疽菌に似たものが確認され、立入禁止エリアは拡がる。単なるスローガンで自分を統御する覚悟はあるのかと問われれば、私は全く自信がない。

 欧米の唯物史観、ここに、調和や協調は生まれない。むしろ、お花畑の日本にこそ、伝統や新しきものの融合、弱さをも包括した共同体主義を感じる。自然の循環、著者はそれを稲作から学んだのではないか。物事の本質を得たのではないか。利益を追うことよりも、共同体主義を壊さないことが重要だと気付いたのではないか。日本こそ安全で健全な社会を作ってきた筈だ。しかし、新世界秩序(NWO)と忌まわしき戦いによって変えられてきたのだ。

 そして、著者はこう結ぶ。

「いつでも、この世の中に、生きるすき間(ニッチ)は見つけてやる。自分探しなんて、しない。永遠のニッチ探し。転がる石。だから、楽しいんだ。だから、人生は生きるに値するんだ。」


2021年10月4日

「三行で撃つ」近藤康太郎

 文章の磨き方を、朝日新聞社の浜田陽太郎編集委員にお聞きした。
下記2冊をご紹介してもらった。
・「三行で撃つ」近藤康太郎著
・「取材・執筆・推敲  書く人の教科書 」古賀 史健著
気になった箇所は、一度目は赤、二度目は黄色、三度目は青、四度目は再購入と決めている。
小室直樹氏を真似したに過ぎないが、何度読んでも新しい発見もあり著者に近づく喜びを感じる。
講演録や朗読なども通勤時の車中で何度も聞く。
その度に新しい発見がある。

 さて、「三行で撃つ」。
分かりやすさ、面白さ、知識、捉え方、心を離さない。
実用から始まり、哲学まで及ぶ。
朝日新聞社日田支局長のかたわら、百姓と猟師と私塾をしている。
頭をガツンとやられっ放し。
たとえば、常に「一番下の意識をもて」ということ。
「どんな愚劣な相手からも、聞くべきことはあるんです。相手も愚劣かもしれないが、自分だって、大した者じゃないんです。」
そうだよ。偉そうに言うなってことだ。
面白いことがいっぱい。
いままで漠然と思ってきたことが氷解する。
心のなかで、「そうそう」とつぶやく。
・・・そんな本。

2021年8月16日

「あなたに似た人」ロアルド・ダール

 開高健氏が編集者に向かって、ダールの「味」を読んどきなさいと言ったそうだ。
で、読みたくなったわけだが、この類はどうもね。つまり、ギャンブルのハラハラドキドキで読み進めるわけだが、精神や身体によくない。自分には合わないってことかな。ときにはスパイスは必要なんだろうが、すべてこの連続となると苦しい。

「味」は人間の心理として誰も持っていると思う。ワインの講釈でアレコレ語る人。その極致の表現は面白かった。「おとなしい凶器」、「南から来た男」は自分には合わない。醜悪奸邪という言葉があるが、そういう登場人物ばかり出るのはどうもねえ。⁡

2021年8月5日

「日本の没落」中野剛志

 どうやらこの本の意図は題名とは違ったものであるようだ。もちろんオズヴァルト・シュペングラーの「西洋の没落」の検証論考だが。文化や文明の終焉としての帝国主義、産業革命の勃興は没落の表象。読み進めるうちに現在社会の歪み、アメリカや西ヨーロッパがシュペングラーの厖大な知識と視点によって予言され、その通りとなっているのは驚き。
 観光立国という没落の光景は納得。人間と土地との精神的結合が離散されたことによる文化の退廃。覚醒存在(知性)の肥大化と現存在(自然)の弱体化。女性はより現存在的であり、男性はより覚醒存在的。真理とみなされるのは、新聞雑誌が生み出した世論。ポスト・トゥルース。ゲーテのファウスト的魂。衰退の現象(①環境破壊、②機械の支配、③技術の拡散、④際限のない欲望がもたらす不幸)。結末は理念の勝利ではなく資本の勝利。デモクラシーからプリュトクラシーへ=金権政治。いわば貨幣によるデモクラシーの破壊。

 日本に滞在したレーヴィットの文章は秀逸で鋭利。種々感じてきた日本人の違和感を解消する。「ヨーロッパの精神はとりわけ批判の精神である。この精神は、区別することを、比較することを、決定することを心得ている。批判は純粋に否定的なものであるように思われるものの、しかし、批判は自らの中で否定の肯定的な力を有しており、この力は、継承されたもの、また現存するものを動の中に保持し、それをさらに発展、促進させるのである。(中略)
 すべてのものを捉えて問い質し、懐疑して研究するこの判別力、これはヨーロッパの生活の一要素であり、これなくしてはその生活は考えられないのである。あらゆる他のヨーロッパの特性もこの批判する能力と緊密な関係にある。すなわち、この特性とは、絶え間ない危機を切り抜けて前進してゆくこと、科学的精神、決然たる思考と行動、不快なことでも率直にのべること、帰結の前に立たせたり、その上結論を導きだしたりすること、中でも、自分をずばり区別する個性、これらである。」 〜カール・レーヴィット「ヨーロッパのニヒリズム」〜

 ”ところが日本人は、こうした題名(西洋の没落)を字義通りに受け取って、西洋の没落を歓迎し、自意識を慰撫するのではないか。レーヴィットはそれを怖れたのである。というのも、彼の診断によれば、日本人は自己愛的(愛国的)であり、ヨーロッパ人にあるような徹底した批判精神を欠いているからである。”(中野)

 さて、シュペングラーが結びに選んだ言葉。
「運命は欲する者を導いて行き、欲しない者を引きずって行く。」〜セネカ〜

 そして、中野氏はシュペングラーの文章を引用して、こう鼓舞する。
 「われわれは、この時代に生まれたのであり、そしてわれわれに定められているこの終局への道を勇敢に歩まなければならない。これ以外に道はない。希望がなくても、絶望的な持ち場で頑張り通すのが義務なのだ。ポンペイの城門の前でその遺骸が発見された、あのローマ兵士のように頑張り通すことこそが。・・・彼が死んだのは、ヴェスビオ火山の噴火のときに、人びとが彼の見張りを交代させてやるのを忘れていたためであった。これが偉大さであり、これが血すじのよさというものである。この誠実な最期は、人間から取り上げることのできない、ただひとつのものである。」

2021年7月9日
「方丈記」 鴨長明
 ある医師が独り言のように語った。
「誰も死について考えない。現代日本人は、精神性を置き去りにした。死を遠ざけた資本主義と近代医学の責任です」と。その言葉は胸の奥深く残った。

 方丈記は隠遁者の随想だと捉えていたが、実はそうではなかった。災害、飢饉、火事、地震による破壊や死という無常観を越えて、寧ろ能動的に生きていこうとする人間らしい文学だった。

 資本主義とへき地診療所の医療は両立するのだろうか。シュペングラーは文化と文明を分けた。文化が誕生し成長した後に、成熟し、固結化する段階に入ると文明となる。要するに、文化が没落に向かっている状態が文明だという。「文化の人間はその力を内部に向け、文明の人間は外部に向ける」。西部邁氏がシュペングラーの言葉をよく引用していたことを今更ながら納得した。文化と文明がバランスよく結合している状態が文化なら、今はそれが崩れて文明の真っ盛りということか。

”すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りもうすらぐに見えしかど、月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし”
”無常の体験から学ぶことなく、忘却の彼方に追いやってしまう。運命的なものとしてきれいさっぱりあきらめてしまう。その妙な潔さが無常観の根底にあると言う。だが、長明は無常を嘆くよりも、無常に対決して自分なりの生き方を打ち立てようとした。無常の体験から学びとろうとしない人間を問題視したのだ。”


2021年6月6日
「おんなのことば」「倚りかからず」 茨木のり子
ときどき思い出したように茨木さんの詩にふれたくなる。

”絶望の虚妄なること まさに希望に相同じい」” 〜ペテーフィ・シャンドル〜
魯迅が引用した言葉。
絶望は虚妄だ。希望がそうであるように。
そう、日々淡々として。

”初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
(中略)
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
(中略)
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・”


”自分の感受性くらい”もいいのだが、「汲む」も素晴らしい。
堕落のない大人を感じたのは松下竜一さん。
僕が松下さんに魅力を感じるのは、おもてのぎこちなさとは対照的な内面。
彼の全集をゆっくりと読んでいきたい。


2021年5月19日
「いのちをむすぶ」佐藤初女
右足の膝を怪我して、点滴室で治療を受けた。
クリニックにいると、こんなときはホントに有り難い。
ベッドに仰向けになり、看護師さんに患部を消毒してもらいながら、ここ数日で感じたことを話した。

「今まで何となく思ってきたことだけど、人のために動くって、すごいね。
 当然のことと思うかもしれないけど、お医者さんや看護師さんたちの仕事は、尊いもんだなぁ」
「そう言ってもらえるととても嬉しいです」

行動は言葉を超える。
私たち夫婦からのオススメの本です。

”苦しみから立ち上がるには、人のために動くことです。
喜びに満たされたときにも、人のために動くことです。
人のために働き、人に喜んでもらえると
なにものにも代えがたい、深い感動に満たされます。
それは、誰もが持つ天性です。” 〜佐藤初女〜


2021年5月14日
「文豪の凄い語彙力」山口謡司
自分が感じた情景、印象などを正確に表現することはむずかしい。
若いころは、長い文章で表現するよりも漢語のような熟語の方がより焦点が合うと感じていた。
ところが、それは独善的な場合もある。

開高健氏の語彙力に憧れたのもそのころだ。
ひらがなで表現するより、熟語は簡潔になり、的確に思えるし、読み手の意識がひろがるように感じた。
彼が醸し出す言葉の才知に酔い、尾籠な随筆も高尚に変わった。

山口氏の本を手にしたのは、単なる郷愁である。
僕が十代のころ「花影」を読み、まさに筆者の記した同じ文章が印象に残った。

引用始まり
二人で吉野に籠ることはできなかったし、桜の下で死ぬ風景を、持ち合せていなかった。花の下に立って見上げると、空の青が透いて見えるような薄い脆い花弁である。
日は高く、風は暖かく、地上に花の影が重なって、揺れていた。
もし葉子が徒花なら、花そのものでないまでも、花影を踏めば満足だと、松崎はその空虚な坂道をながめながら考えた。
引用終わり
〜大岡昇平「花影」〜

福田恆存氏は源氏物語の須磨の段が名文だと書いていたが、この文は吉野への憧憬の念をもつ。
衣擦れの音が静けさを演出するように、花は吉野へといざなう。
こうやって日本の知らない言葉を覚えていくのは、ささやかな楽しみだ。


2021年4月27日
「『高齢ニッポン』をどう捉えるか」浜田陽太郎
筆者は朝日新聞編集委員。
会社の制度を利用して、地域医療の学習で一年間を当法人で研修生として過ごす。

夢中になって読み耽ったのは、久し振りだ。
ミステリー小説を読むような、或る種の高揚感は近接性や共感だろうか。
一つの共感が得られれば、人はよりコミュニケイトできるだろうか。

筆者の志操高潔さを垣間見るのは、日常の介護ボランティアや資格取得、そして現在の活動である。
医療や介護の現場では、さまざまな課題を抱えている。
それを具体的に掘り起こし、相互の心理的葛藤を記述し問題提起する。
あるいは資本主義の限界を探り、また介護現場を考える。
ギャラリーがプレイヤーとなり、プレイヤーとして困難を共有する。

日本は斜陽の道を辿っていると評論家は言うが、そうだろうか。
そんなとき、小室直樹先生の言葉を思い出す。

「このままでは日本はダメになりますね」
「心配することは全くない。社会がダメになれば人が輝く。三国志を読み給え」

オルテガの言葉も美しい。
「国民というものは、常に創造されているか、あるいは破壊されているかである」

人は資本ですね。
こんな人がたくさん集まれば強くなる。
日本は。


2021年4月23日
「昭和恋々」山本夏彦・久世光彦
妻が学生時代を過ごした京都を訪ねたことがある。
ただ、それだけのために。
永観堂の、その家を探した。
哲学の道はときどきの散歩道だったという。
僕は彼女が心から喜ぶ姿が眩しかった。

さあ、
今度は僕の昭和を訪ねてみよう。
下北沢の裏通り。夜の公園で友だちとギターをかき鳴らし、警察と問答になった。
汗顔のいたり。

こころの中にある昭和を静かに見つめるのもいい。
でも、一緒に喜んでもらえる人があれば、なおさらいいじゃないか。

久世光彦さんの冒頭文。
身震いをするとは、こんなことだ。

引用始まり
 たぶん私たちは、何か大きな忘れ物をしてきたような気がしてならない。もしかしたら、それは途方もなく大きな忘れ物だったのかもしれない。《文化》なのか、《教育》なのか、あるいは《精神》とか《魂》とかいうものなのかーーそれはよく分からない。けれど、いまはない《何か》が、この写真の中には確かに写っているのだ。それはほんの取るに足らないものかもしれない。たとえばーー私たちは、あの日の雨や風の音を聴くことが、いまあるだろうか。このごろみたいに、夜は明るくていいのだろうか。春を待つ心という、懸命で可憐な気持ちを、いまどれほどの人が知っているだろうか。ーーあのころを想うと心が和むが、いまに還えると胸が痛む。
 柄にもなく、辛亥革命を待たずに刑死した、秋瑾という中国の女闘士を思い出す。《秋風秋雨、人を愁殺す》ーー優しい風や、柔らかな雨は、かならずしも人の心を和ませない。むしろ、気がつかないうちに、穏やかに人を殺してしまう。恵まれ過ぎて、安逸を貪るのに慣れ、いつか馬鹿になっていく不思議な《平和》への、痛烈な一句だと思う。
引用終わり


2021年3月24日
「九年前の祈り」小野正嗣
芥川賞受賞後の文藝春秋で読んだときは、海辺の町のありふれた家庭の日常風景という印象だった。
ただ、そのときも今回の再読も「引きちぎられたミミズ」という独特な言葉の形容と登場人物の感情が交錯した。
このような純文学は懐かしいような芥川賞らしさを感じるし、退屈な日常描写はあっていい。
なぜなら我々の現実は多くの平凡な選択の連続だし、決してドラマチックではないからである。

蒲江の白砂青松の美しい海岸線が続く入り江。
海辺の町の荒々しい方言と静かな日常。
母と子が織りなす寡黙な希望の風景。
僕はカズオ・イシグロの「日の名残り」を思い出し、作者の気品に満ちた穏やかさを感じた。

しかしもっとこころ打たれたのは、付録の芥川賞受賞スピーチである。
サミュエル・ベケットのミミズの観察の引用から始まる「与える」ことへの展開と、亡き実兄への兄弟愛である。
他人が推し量るにはおこがましいような、尊敬や無念、思慕などの複雑な気持ちに感涙せずにはいられなかった。

「お人好しで、不器用で、子供のころ、みんなからからかわれていました。何をされても怒らない。人の悪口は言わない。勉強はできない。足は遅い。(中略)でも兄がいなくなって、わかりました。奪われていたのではなく、与えていたのです。」

「僕はたかられているのではないかと思っていたのですが、そうではなかったのです。(中略)兄が死んだとき、通夜にも葬儀にも、過疎の集落のどこにこんなにいたのかというくらいたくさん人が来てくれました。足の悪い年寄りが足を引きずりながら仏壇の兄に会いにやって来ました。兄はないないづくしだったけれど、自分は否と言わず、人を受け入れ、ひたすら与えました。」

「文学は僕にとってそういうものです。一方的に与えるのです。」

深く読もうとすることは、自分で考えるという作業によって気づきを与えてくれる。
だから僕は狭い範囲でいいから、深く掘り下げてみたいと思ってきた。
またいつかこの小説を読もう。
年齢によって感じ方も考え方も変わってくるだろう。
季節が移り変わるように、その変化も受け入れ楽しみとして捉えたい。

僕はイエスや賢治の言葉よりも、ショドリーの言葉を思い出していた。
「一生を終えて後に残るのは、われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものである」〜Gerard Chaudry〜


2021年2月10日
「マンガ認知症」
以前、院内学習会で何度も認知症の講義を受けた。
大凡のことは学習できたと思っていたが、時間が経つと忘れてしまうものだ。
この本を読みながら、ああそうだったと納得の連続だった。
認知症は「何らかの脳の疾患によって」「認知機能が障害され」「それによって生活機能が障害されている」、この三つがそろって認知症と診断されると書いている。
このマンガを、楽しみながら何度も読むことで頭に叩き込み、認知症の介護で苦しんでいる方がいれば、少しは気持ちを落ち着かせることができるのではないか。知識は力と成り得る筈だ。

週刊ポスト2021年2月12日号の61頁に「フェルガード」の記事が掲載された。
長女の主人の友人がフェルガードを販売している(株)グロービアの村瀬仁章さんという方だが、東京より大分の当院に来てもらい、講義をしていただいたことがある。
村瀬さんが三井物産に在籍していた頃に、彼がコエンザイムQ10を仕掛けたことを聞いた。
ランニングで加齢に抗いながら模索していた頃に、当サプリに出会ったことを話した。
大分の温泉を満喫してもらい、関アジに舌鼓を打ちながらたくさんのお話を聞くことが出来た。
誠実で凄いエネルギーを感じる方で、認知症に傾ける情熱に心を打たれた。
コウノメソッドで有名な名古屋フォレストクリニックの河野和彦先生もフェルガードを使用しているが、一緒にさまざまな企画を立てている。
親が認知症になったらと考えると、僕は知識を得たいと思う。
今苦しんでいる家族の方に、少しでも情報を提供できたらと思う。


2021年1月18日
「傷を愛せるか」宮地尚子
誰もが鎧をつけて生きています。
ほんとは弱い筈なのに、強がったり、落ち込んだり。
傷を負って生きる辛さは当事者にしか分かりません。
どんな言葉を差し上げられるか、誰もその答えを持ちません。

 弱さを受け入れるのは辛いことです。
傷を隠したり、忘れようとしてはいないでしょうか。
できれば無かったことにしたい、その風景を隠してしまいたい。
しかし、傷を負った自分からは逃げることはできません。
記憶から解放されることはありません。

 「傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。
身体全体をいたわること。
ひきつれや瘢痕を抱え、包むこと。
さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。
傷ととともにその後を生き続けること。
傷を愛せないわたしを、あなたを、愛してみたい。
傷を愛せないあなたを、わたしを、愛してみたい。」

鎧をつけるべきなのでしょうか。
医療や介護に求められるのは強い人間であるべきでしょうか。
弱さを受け入れられる人間であるべきでしょうか。
脆弱性という前提が医療や介護の基本ではないでしょうか。