2021年

2021年12月16日(木)
「師走の診察室」   清川診療所 坪山明寛 

 師走もはや半ば、クリスマスも近づき、孫達は玩具のカタログをめくっている。今朝は3度、冷え込みが増し診察室にもふくら雀の様な方々が散見された。

 ふくら雀身じろぎもせず屋根の上 明寛

 幸いに日本国のコロナ感染は落ち着いている。降ってわいたオミクロン株も、マスク・手洗い・三密回避に加え、ワクチン・経口薬(承認近し)と、人類の英知で間もなく収束する…と信じたい。ハンセン病や結核克服に3000~4000年の年月がかかったことに比較すると、科学の進歩に驚嘆する。 しかし人の生きざまは、進化進歩したのだろうか?日々のニュースには、貧困・飢餓・争い・病・死・嫉妬・差別とパンドラの箱から飛び出したあらゆる災厄が日々起きている。

 ジョン・レノンのイマジン(imagine:想像してごらん)の歌詞、“想像してごらん、国なんてないって/難しくないよ/殺したり死んだりする理由はひとつもなく/宗教だって勿論ないんだ/・・人類はみな兄弟なんだ”の世界は、レノンには気の毒だが、夢想家の夢のままだ。Imagineは愛と平和を希求した歌だが、このimagineという言葉を叫びたくなるようなことが師走の診察室であった。

 ある日二人の老女(いずれも90歳過ぎ)から同じ質問を受けた。
「楽になる薬はないですか」「先生有るでしょう、下さい」という問いかけだった。

 私はその問いの心情は察していたが、敢えて聞いた。「どうしてそう思うのですか?」と。二人の答えは予想通りだった。「もう90過ぎた、周りの者に迷惑をかけたくない。皆早く逝ってくれないかと思っているでしょうに・・」だ。ああ分かります、迷惑をかけたくないというのは、社会の一員として社会連帯のために大切な心構えだと私も思う。でもと言いたい、産まれる、生きる、死ぬという人の道が、人に迷惑をかけないで可能でしょうか。人は誰しも誰かに迷惑をかけて生きているんでしょう。

 いやそれよりもimagineして欲しい!「死ねる薬をくださいと頼んでいる相手は誰か」ということを想像して欲しい。医師も人です。人を助け癒す使命を持っているのに、「死ねる薬を・・」の言葉を聞くと、職務を果たしていないと詰問されたようで辛いということを是非imagineして欲しい。私はこういう問いを受けた寂しさ辛さを熱を込めて語った。ちょっと厳しいくらいに語った。「誰にも言いませんから、分からないからいいじゃないですか」等と尚も食い下がっていた老いの人は黙った。あっちょっと言い過ぎたかなと反省しつつ気が重たかった。

 ああでも同じ日に、80歳後半の媼と話していたら、気持ちが和み救われた。

「先生、私達夫婦はお互い人生の最後を迎える時に、して欲しいこと・して欲しくないことを、真剣に考え語り合いました」と自分から話し始めたのだ。一瞬びっくりしたが、素敵なことですねと応じた。人生の最終段階の医療やケアを話し合うことを、愛称「人生会議」と言う。人はケガや病気、さらに認知症になる可能性があり、約70%の方が自分の意志を伝えられなくなる。そうなると望まない人工呼吸器や胃ろう装着、抗がん剤投与も有り得る。生き方も自分で考え自分で選択してきたように、自分の人生の締めくくりを信頼できる人に話しておくことは大事な事だ。この老夫婦は、語りあったというのだ。素敵なこと尊敬できることだ。これから二人は穏やかに生きてゆき、「死ぬ薬はないでしょうか」と医師に尋ねることはないと確信する。

 私もレノンのimagineのように、様々な視点から病む人を思い、家族を自分の人生を思い、夢想家の夢のままにならないように生きようと、考えさせられた師走の診察室だった。



2021年11月18日(木)
「昔物語から愉快な明日を」   清川診療所 坪山明寛 

 通勤の際、岩戸橋を渡る時にワクワクした。霧だ、盛り上がるほどの霧が奥岳川を覆いつくしながら流れおりてきた。

   鼓動うち霧流れくる奥岳川 明寛

 岩戸橋袂のすずなりの柿は、辺りに溢れんばかりに黄色い光彩を放っていた。飽食の時代、健康志向の時代、熟し落ちるのを待つばかりの柿。昔は木守り柿といって、木のてっぺんに1個残して次年の豊作を祈っていたぐらいに、大事な果実だったのに・・。

 昔はといえば、診察にきた独居の媼と昔話をして和んだ。話の発端は、やはり柿だった。時は戦後5,6年の頃、朝めしは芋に数えるほどの米粒がついていた空腹の時代だ。

 媼は私より10歳ほど歳上だが、戦後の田舎暮らしは私の故郷鹿児島と大分は同じようだったらしい。学校帰りに柿をもいで食べていたし、砂糖キビ畑に潜り込んで、固い皮を歯で向いて食べたこと、掘った芋を川で洗って食べたり、子ども達数人で組んで、夜キンカンを盗んだ時のスリル、雑木林に入り野イチゴ、グミ、ムベを採取して食したこと、鹿屋航空隊に駐留していた米軍から投げて貰ったチョコレートの美味しかったこと、お菓子屋の友達から貰った森永製菓の飴の甘味などを語ると、60数年前のことが今のことのように味覚と一緒に映像として浮かび、診察室には笑いがうまれ、媼の表情も和んでいた。

 しっかり診察と処方の確認はして診療を終えた。媼は「すいません、長話をして・・」と頭を下げたが、私は「全然大丈夫、楽しかった」と応えた。看護師も「大丈夫だよ、回想は大事」と声をかけフォローしてくれた。

 話すことは脳力を高めると言われる。大分医大の木村先生は、一日に80分~321分話すことが認知症予防になると報告され、また速音読を10-15分することで脳の前頭前野の血流増加があるとの報告もある(川島;東北大)。会話する場合、今流行りのコロナ感染症より昔の生活を話題にすること(回想)が、その人の情動機能(心の働き)への働きかけが強く、認知症の介護者の困りごとである周辺症状(暴言、暴力、徘徊、物盗られ妄想など)は軽減し、記憶中枢の海馬にも影響する。

 医療現場で語ることの重要さは、私が医師成りたての頃に身に沁みて学んだ。大学で診療・研究していた10年間は、殆ど癌患者さんとの付き合いだった。当時は今のような進んだ治療法がなく、診療した殆どの方が亡くなり悩んだ。10年間で学んだことは、病み人の話を聞き、語りあうことも診療だということだった。亡くなる直前まで語り合い、病み人に笑みが浮かぶまで語り合った。まさに「時に癒し、しばしば支え、つねに慰む」(トルドー療養所)は、私の医師としての指針だった。診療所では悪性疾患は少ないが、高血圧など治癒とはならない生活習慣病などの慢性疾患に加え、寄る年波による認知症、体力低下、孤独など薬剤のみでは対応できない実態があり、私は語りあうことも大きな医療手段と思っている。最近はNBM(語りあう医療)として、EBM(科学的根拠に基づく医療)と共に重要視されてきていることを喜んでいる。

 語りあう際に大事な事は、老若男女共に分かりあえる話題だ。高齢者の場合に重宝なのは昔の生活だ。幸いに私も70代半ばで、ある程度の昔話には付き合える。力道山の空手チョップとか、脱穀機を足で踏んだとか・・・。中でもテレビを初めて見たというような体験話は、五感を刺激され情動を揺さぶられ、人は愉快になる。最近はなかなか「初めて」に出会わないが、先日久しぶり出会った。しかも世界で一番美しい式とのこと。紹介します。

 eiπ+1=0(オイラーの等式)です。世界一美しいと言われても、分からないことには感動が湧きませんね。これからも清川の方々と分かり合える話題で語りあい、病と心を癒すことに精進していきたいと願っている昨今です。



2021年10月21日(木)   
「考えるヒントは語源」   清川診療所 坪山明寛 

稲穂が重く垂れ、彼岸花が咲き誇り通勤の心に元気をくれる仲秋の大野路風景だ。

  熟るる田や祝い賑わし曼殊沙華 明寛

 今年はウンカの被害はなかったが、米離れに加え、コロナ禍の外食産業打撃により需要が低迷し、米価低調で農家の嘆きが聞こえ、瑞穂の国が錆びたようで寂しい。米といえば、ある米の名前が離れない。その名は「恋の予感」だ。素敵な名だが、買うのにちょっと照れる。この米は温暖化対策品種で、リハビリを受けた米ともいえる。えっリハビリ!と不思議がる方もあるかもしれないが、リハビリ(rehabilitation)の語源は、「re=再び」と「habilis=適した」だ。つまりリハビリは「再び適した状態になること」だ。その意味で「恋の予感」は気候変動に適するようにリハビリを受けた米だ。脳梗塞や加齢による身体機能低下を回復することが医学的リハビリだが、語源からは、リハビリの対象は広範で意味は深い。

 清川診療所にはリハビリ施設「もみの木」が併設され、皆さん「パワーリハビリ」に頑張っておられる。パワーリハビリは、きつい筋力トレーニングと異なり、マシン(機器)を使用し「楽な運動」が前提で関節や筋肉がスムーズに動くことを目標にし、日常生活への希望を取り戻していくリハビリだ。

 先日リハビリについて考えさせられたことがあった。もみの木では、利用者や家族・ケアマネージャー・医師・担当スタッフ等が一堂に会し、意見を出し合い、利用者に最適なリハビリ内容を話し合うリハビリ会議を定期的に開催している。

 先日の会議は、90歳間近の独居の媼が対象者だった。脳梗塞後遺症、変形性腰椎症、骨粗鬆症を患い歩行器で移動している方で、転倒が多く救急搬送歴もある。身体能力は5m歩行やTUG(転倒リスクテスト)の数値は、基準値を大きく上回って良くなかった。

 この方の今後のリハビリ方針として、訪問リハビリ導入が提案された。確かにもみの木のリハビリに在宅リハビリ追加で、身体機能増進が図られ転倒リスク減少が期待される。

 リハ担当者に訪問リハビリ追加で、媼の身体機能がどれほど改善するか尋ねた。担当者の意見は、多くは期待できない、現状維持であれば良と思う・・だった。

 私は考えていた、あの米の「恋の予感」とリハビリの語源のことを。「恋の予感」を産みだした品種改良は、米の個別リハビリだ。だが問題の本質は、品種改良を迫られた地球温暖化という環境破壊だ。語源から考えると、普通にお米が育つ地球環境の再生、地球リハビリに先ずは取り組むべきだと思った。

 この媼の場合も、個としての身体機能回復を更に強いるよりは、独居生活を安全に暮らせる環境整備が重要ではないか。即ち炊事、洗濯掃除、買い物など生活支援をして見守る生活リハビリ導入が肝要であり、ヘルパー導入が必要ではと提案した。話し合いを深め、その方向でゆくと決まった。次のリハビリ会議で、生活支援、生活リハビリが媼の生活の質(安全面とゆとり)にどう影響したかを検証したいと考えている。

 今回の会議で、「恋の予感」とリハビリの語源が、リハビリを身体面だけでなく生活全般まで考えるヒントをくれた。

 私は昔から語源が好きだ。例えば、「白波五人男」の白波は、昔中国で黄巾の賊が「白波谷」に籠り掠奪したことが語源で、盗賊のことだ。また「つづら折」は葛藤(ツヅラ藤)が複雑に折れ曲がっている様が語源だ。語源は意味が変わって使われることも多いが、物事を考える時に示唆と納得を与えてくれる。

 地球温暖化、コロナ感染症、貧困差別などは、人的活動の歪みが原因だと思う。「再び最適な状況に回復」とのリハビリ概念が、社会構造見直しに適応されるべきは、混沌の今だ!と教えてくれたリハビリ会議だった。

2021年9月21日(火)
「『ありがとう』談義」 清川診療所 所長 坪山明寛 

 台風一過、迷走台風14号の過ぎ去った朝、新聞を取り仰いだ空の青が目に沁みた。台風一過には、騒ぎが収まる意味もある。「台風一過、コロナが終息した!みんなで出かけよう!」と叫ぶ日を心待ちしている。
   野分過ぎつかのま心青き空 明寛
豊後大野市のワクチン接種も終盤に近い。診療所も5月から始め、9月17日まで12歳から93歳まで、延べ1046名にワクチン接種した。この間1046回の語りかけや質問への応答を通じて、少々疲れや左親指の痛みがあるが、それを数倍上回る有難さを感じている。大袈裟に言えば、人類の危機克服の手助けができている有難さ、多くの見知らぬ方々との一期一会、語りあいの喜びを味わえた有難さだ。なんといっても全員の方が帰り際に「ありがとう」の声をかけてくれたことが有難かった。
 「ありがとう」をこれほど言ってもらったことはなかった。小さい「ありがとう」、お辞儀と一緒の「ありがとう」、笑顔の「ありがとう」、無表情の「ありがとう」もあった。 「ありがとう」を貰って喜ばない人はいないだろう。それは、自分が役にたった、自分が今の場所で生きていていいんだと思わせてくれる言葉だからだ。考えてみると注射を打つということは、針で他人を傷つける行為である。普通なら刑法に触れる行為が、医師というだけで許され感謝されるとは、おかしいことだ、普通ではない。「ありがとう」は普通ではない事へ気持ちを伝える表現なのだ。
 ある日の診察室で、媼と「ありがとう」で語り合ったことがあった。
 媼がお嫁さんに和服を着るのを手伝ってもらったと呟いたので、「よかったね、それは。”ありがとう”と言ったのでしょう」と語りかけた。媼は「いや言わなかった」の返事。私は「えっどうして?手伝ってもらったのだから、“ありがとう”と言ったらいいのに、”ありがとう”を言っても、何か損するわけでもないのに・・」と言った。媼の答えは「だって当たり前だから」だった。お嫁さんが手伝うことは当たり前、当たり前のことに「ありがとう」はいらないというのだ。確かに、それも一理あるなと私も納得しかかった。でも私の議論好き魂が噴き出した。確かに「ありがとう」は「有難し」に由来する。「有難し=あり得ないこと」が起きたことへの感謝が、「ありがとう」になったというのだ。また「ありがとう」の反対語は当たり前と言われる。この理屈に従えば、お嫁さんが手伝いをするのは当たり前のこと。有得ない事ではない。だとすれば、「ありがとう」をいう必然性はないことになる。
 でも私は引き下がらない、激情からではない。自分の体験や学びから、考えて考え抜いた末の信念があった。
 コロナ禍もそうだが東日本大震災の時にも、普通に暮らせること、当たり前と思っていたことがどんなに有難いことか思い知らされた。大震災から10年、この思いが薄れようとした時にコロナ禍となり、普通に当たり前に暮らせることの有難さを再び思い知らされている。そうなのだ、当たり前と思う出来事には、有り得ないことが重層的に複雑に絡み合って当たり前という有難いことになっているのだ。つまり当たり前なことにも有難いことが隠れているのだから、「ありがとう」は、当たり前な事にも使っていいのだと考えている。
 私と媼は、互いに辛抱強く語りあった。20分程の「ありがとう」談義が終わり、媼は私を一瞥して帰った。媼の生活で、これからどれほどの「ありがとう」が表出されるか・・次の診察が楽しみだ。
 医師として、普通で当たり前と思っていることを疎かにすると、墓穴を掘るかもしれないと自戒しながら、媼との有難い時間を有難い語りが出来たことを有難いと思い、媼の背中に「ありがとう」と呟き見送った。


2021年8月23日(月)
「おまじないパワー」 清川診療所 所長 坪山明寛 

 長雨の続いていたある日の診療所で、一人の媼と昭和20年代を懐かしんでいた。雷が鳴りだすと線香を立て、急いで部屋に麻の蚊帳を張り、「くわばらくわばら」と唱え合掌していたと話すと、媼も“そうそう”と頷いた。そうなんだ、鹿児島も大分も同じことをしていたんだと笑った。若い看護師は、状況が理解できなさそうな表情をしていた。
  雷鳴やくわばら唱えほくそ笑む 明寛
 でもふと思った、”くわばら”って何だろうと。大辞林を引っ張り出した。「嫌なことなどを避けるために唱えるまじない。管公<菅原道真>の領地桑原には一度も落雷がなかったことによる」と記載があった。「まじない」的な言葉だと思っていたが、やはりそうだった。雷が雷神のせいと考えていた頃、人はまじない言葉を唱え安寧を得ていたのだ。まじないは呪いと書き不吉にみえるが、般若心経にも呪の文字が載っている。心経の終盤に「是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪」「故説般若波羅蜜多呪即説呪曰」と呪が六回もある。苦難の時の救いとなってきた般若心経、そこに「呪(のろ)う」という悪意を持って他人に災いをもたらす意味はないだろう。松原哲明氏によると呪は「これ以上はないおまじない(真言)」ということらしい。そのおまじないは「揭諦揭諦波羅揭諦波羅僧揭諦菩提薩婆訶」という言葉である。
 おまじないは、医療の世界でも力を発揮する。所謂「偽薬効果」である。例えば新しい鎮痛薬の効果を判定するのに、患者さんを新薬服用群と偽薬服用群に分けて効果を判定する二重盲検試験がある。新薬が偽薬よりも有意な効果があれば、新薬は有効と認められるが、偽薬でも効いたという人が必ずいる。何故か?投与の際、新薬偽薬問わず医師が痛みをとる新薬と説明するからだ。まさに「おまじない効果」なのだ。
 小さい頃から聞いていたおまじないを、今でもよく聞くし、孫にも言うことがある。代表例が「ちちんぷいぷいのぷい、痛いの痛いの飛んでけ~」だろう。テルテル坊主、あいあい傘、赤い糸、お賽銭の五円などおまじないグッズも多い。また線香の煙を身体にかけたり、指切り、流れ星に願かけと数えるのに暇がない。現世を生きぬく際、人智の及ばぬ事象に出会うと、人はおまじないの不思議な力に頼るのは、昔も科学万能の今も変わらないということになる・・・。
 最近テレビで専門家と称する方が、コロナ感染症撲滅のために「国はもっと強いメッセージを出すべき」「言葉が弱い」と口角泡を飛ばして叫んでいるのを聞いていると、言霊を帯びたおまじない(真言)の有効性を信じているんだと妙に感心する。折角大衆の見ているテレビに出ているのだから、出し惜しみしないで、専門家として霊験あらたかなおまじないを教えてくれ~と言いたくなる。
 先日、般若心経の真言に匹敵する「おまじない」の力を目の当たりにした。
 認知症のご主人が、たまに手をあげようとすると、奥さんが「手をあげたらダメよ」と言えば拳を治めるそうだ。重度認知症なので言葉を理解できないと思うのだがと尋ねた。
 結婚する際に奥さんの母親が、「貧乏はしても良いが手をあげることだけはしないで」と頼んだそうだ。この言葉が、認知症になった今も、神力を帯びたおまじないとして体に染みついているのだ。貧乏は時の運、しかし殴るのは人格の否定、我が子を大切にして欲しいという母の必死の願いが、おまじないとして生きているのを知ってゾクゾクした。
 おまじないには、不確かさの渦巻く現世を精一杯生きようとする人々の、人を思いやる息づかい、優しさ、必死さがこもっていて、ポイできない摩訶不思議さがある。
 コロナ禍の今、おまじないを唱えたい。”ちちんぷいぷいのぷい、コロナよ飛んでけ~”


2021年7月20日(火)
「消すまい文化の灯」 清川診療所 所長 坪山明寛 

 梅雨明けだ!猛暑襲来だ!朝から気温29度には閉口する。暑さ故かコロナ禍故か、ゲートボール場に人影はなく、猫じゃらしの群れが、朝陽を浴びて黄金色に輝き揺れていた。
  玉を打つ音も自粛や猫じゃらし 明寛
 私の子供の頃、飼い猫の遊びに猫じゃらしは必需品だった。今の飼い猫は、どうなんだろう?ピカピカの疑似餌みたいな物だと何だか味気ないな。猫じゃらしは、粟の原種で飢饉の時には食用だったが、今はただの雑草・・・でも私は好きだ。道で見つけると、必ず穂をキュっと引き抜き揺らしながら歩く。子供の頃の癖が抜けきれない自分が、滑稽に思えるがやめられない。多分これからも・・。
 さて県内のコロナ感染者が落ち着いた7月4日、妻と一緒に神楽会館で芝居見学をした。清川を拠点に、精力的に活動している「夢中劇団みかど」が、「神々とアマビエの談義」‐コロナに打ち勝つご託宣‐を上演したのだ。御高齢の劇団員さんが、手作りの高天原を舞台に、セリフに魂を込め、剽軽な振舞い、奇抜な衣装のアマビエを交え、素朴にアドリブ豊かに演じ終えた時、私は心からの敬意を込めて惜しみない拍手を送った。
 夢中劇団主宰のK氏は、演劇を通して地域活性化に長年取り組んでこられた方だ。伝説や歴史ものを得意とされているが、K氏は私の脚本を幾度か演じてくださった。最初は約20年前、私が同人誌「おおの路」に掲載した寸劇「頑固爺さんの涙」だった。2回目は平成30年、第33回大分国民文化祭に向けて書いた創作劇「父帰る」だ。その後コロナ禍で休まれていたが、昨年10月K氏が外来受診時に、「先生何か書いてくれ」と頼んで来た。私は「分かりました、何か考えましょう」と承諾した。勿論私は脚本家ではないし自信もなかったが、今回の「神々とアマビエの談義」を書いて渡した。
 何故か?私はK氏の生きざまに強く惹かれていた。病を押して手弁当で「清川の町に文化の灯をともし続けたい」ということを生き甲斐に、演劇に子供のように夢中になる生き方に、羨望と共感を覚えていた。一つの物語を言葉・音質・所作・衣装・背景・光と影で劇という文化を、素人劇団員で産みだすことは並大抵ではない。K氏は勿論、劇団員の方々の清川町に文化の香りを放ちたい、人々を元気にしたいという純粋な活動にひれ伏するばかりだ。私はK氏の劇一筋の歩みに、山頭火の”この旅、果てもない旅のつくつくぼうし”が重なってより強く共感を覚えるのだ。
 私も日々の診察の中で、科学的根拠のみで判断できない問題に直面した時、土地に根付いてきた文化(家族関係、年令、生き方、価値観、信仰、習慣など)に寄り添い理解することで解きほぐされたことを幾度か経験した。
 また地域には民間医療文化もなお息づいている。お腹の調子が悪い時に、自作の梅肉エキスを第一選択にする翁がいる。作り方を聞くと、約30個の青梅の皮をすり潰し2時間煮詰めて作るのだ。それを聞いたら、子供の頃母親がくれた黒い粘稠な液が蘇り唾液が出てきた。不確実さを根底に持つ医療では、梅肉など代々繋いできた民間医療文化は、祈りにも似た安心感を与えてくれる力があるのだ。
 K氏の芝居のように夢中になれるものや、地域文化の灯を消したくないという情熱は、精神的肉体的健やかさを保つ原動力にもなる。
 今回の脚本には、コロナ禍で人が笑うことを忘れていることで、精神および肉体に悪影響を及ぼしていると思い、こんな時こそ笑って生きて欲しい、笑顔溢れる清川町であって欲しいとの祈りを込めた。「夢中劇団みかど」には及ばないが、私も医療だけでなく、稚拙ながら書くこと、文芸という文化で清川町の方々の生き方に役立ちたいと思う。その意味で、また機会があれば夢中劇団と一緒に楽しく夢のある物語を紡げればと願っている。