2020年

2020年10月17日

「閉された言語空間」江藤淳

<読書メモ>

・1943年、スティムソン合衆国陸軍長官とプライス検閲局長官が日本占領後の検閲に関して書簡でやり取りをしていた頃、東京では、開戦後はじめて「戦争指導大綱」を討議する御前会議が行われた。

・占領軍当局が日本で実施した「民間検閲」は、決してマッカーサー司令部の恣意によって行われたものではなく、米統合参謀本部の命令によって行われた。米大統領ローズヴェルトの命令により、その意思にもとづいて実施されるようになった。

・米国務省は、「1945年7月26日の宣言と国務省の政策との比較検討」と題する覚書で、ポツダム宣言は、「受諾されれば国際法の一般規範によって解釈されるべき国際協定となる」はずであり、「国際協定」である以上それは当然「双務的」拘束力を有する、と分析している。

・そうであれば、日本において米占領軍当局が実施するべき民間検閲は、必然的にポツダム宣言第十項の保障する言論・表現の自由の原則と、真正面から対立し、矛盾撞着せざるを得ない。しかもなお対日占領政策基本政策の一つとして、マッカーサーに民間検閲の励行を厳命している。この矛盾を解決しようとすれば、方法はただひとつ、統合参謀本部の命令通りに民間検閲を実施し、しかも検閲の存在自体を秘匿し続ける意外にない。

・占領期間中を通じて、検閲への言及が厳禁された根本原因は、このポツダム宣言とのあいだに存在する、矛盾の構造そのもののなかに潜んでいたのである。

・征服による敗北ではなく合意による敗北である。

・トルーマンのマッカーサーへの指令第1項には「我々と日本の関係は、契約的基礎の上に立っているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである」と規定した。

・アメリカは日本人の沈黙のなかに充満している情念や価値観を破壊しないと、逆に殲滅されてしまうと恐れた。

・日本の報道機関は「新聞と言論の自由に関する新措置」で、「いかなる政策ないしは意見を表明しようとも」、決して日本政府から処罰されることがない特権的地位を得た。

・このことにより日本の新聞は進んで連合国の「政策ないしは意見」を鼓舞する以外に、存続と商業的発展の道を見出せなくなった。

・そして米兵レイプによる多くの事件は闇に消えた。

・自己破壊による新しいタブーの自己増殖という相互作用は、戦後日本の言語空間の中で、おそらく依然として現在もなお続けられている。

・米国人ジャーナリストにより米軍の検閲施策は批判された。アメリカ人は自由や平等を説くが、言葉と実際は大違い。そもそもアメリカ人は日本人を人間扱いしていない。

・民間情報教育局(CI&E)が準備した「太平洋戦争史」には、南京とマニラの日本軍の残虐行為をInformation Programが実施。

・「太平洋戦争史」は日本の軍国主義者と国民とを対立させようとした。間接的に大都市への無差別攻撃や原爆投下の罪悪を回避させた。

・著名人との連絡を密にし、東條英機及び他の戦争犯罪人裁判の最終弁論と評決について、客観的な論説と報道が行われるよう指導した。

・広島の原爆の碑献呈式には、日本の新聞関係者がこの行事を「正しく」解釈するよう指導した。


2020年10月7日

「形」菊池寛

中学校の教科書に載っていた短編を再読。(青空文庫)

とても印象的で何度も読み返している。

形は本質を離れ、その形自身の幻想によって効果を発揮することとなる。

人間はそれゆえに形に幻惑されてしまう。

名前や権威だけで信頼に足るものと思い込み、何の検証もなく受け入れてしまう。

西部邁さんが話していたが、民主党政権になったとき、ある新聞記者が元東大総長の佐々木毅さんにインタビューした。

涙ぐむほどに感激し、日本の歴史上初めて民主革命が起こったと語ったそうだ。

記者はこの政権をどう捉えるか、西部さんの感想を問いかけた。

この政権はただでさえ滅びている日本を、さらに滅びの底に引きずり込むでしょうなと答えた。

そして、3年間にボロの限りを尽くして胡散霧消してしまった。

政治学をやっていた人の言葉の虚しさ、予測さえ覚束ない知識人は何者なのか。

哀れな認識力、洞察力、予見力と西部さんは断じた。

権威とは幻想だと疑うことも必要。

自分が勝手に作り上げていることもある。

それに乗っかっている本人も嘲笑ものだが、先ず自分を振り返ることから始めたいものだ。


2020年9月6日

「奇跡の四国遍路」黛まどか

黛まどかさんの漂泊の旅を知ったのは、つい最近のこと。

黛さんの文章には時折キラリと光る言葉が浮かぶ。

俳人は、心の言葉で機織りをする人だ。

ホンネで書いている文章は胸を打つ。

生きることは、頭ではなく体験によって刻むことではないか。

体験のなかに挫折や喜びを感じとることではないか。

そのような暗示が随所に啓示される。

遍路は、個人のなかで和解させることだ。

黛さんはそう考える。

<読書メモ> ・サインはいっぱいあるのに、見逃している人は多い。なぜなら先ばかり見ているから。だから”今”しか見ないと決めたんです。

・万葉集に詠まれた夢の構造には、二つのパターンがあります。一つは自分の念によって思い人が夢に出てくる。もう一つは相手の念によって、その人が夢に出てくるというものです。

・達成感を超える感慨に包まれ、終わりに近づくほど譬えようのない空虚感のようなものに襲われました。

・小さな一歩もたゆまず重ねていけば必ず終点に着くということを「身体」に刻んだことです。三百十二万歩のどの小さな一歩なくしてもゴールにたどり着けなかった。それを「頭」ではなく「身体」が知ったことが大きな収穫でした。

・今生きている人と人との間に見えない「縁」が縦横無尽につながっていて、その中で生かされていること。私たちの意思ではコントロールできない「大いなる力」によって導かれていることなどです。

・自然の中で身体を動かしていると、波動のようなものを感じるようになります。対象(自然や人など)が出す波動と自分の波動が合致した瞬間に、命の交歓が生まれ、俳句が生まれます。

・俳句を詠むことは能動ではなく、むしろ受動に近い感覚です。「待つ」と言い換えることもできます。その根源にあるのは「身体性」です。歩くことによって、現代生活で鈍くなってしまっている五感のアンテナが立ち、日常にはない思考回路へと導かれます。

・子供には明日も昨日もないの。ただ、”今、ここ”を生きているだけなのよ。遍路も俳句も、過去や未来にふらふら彷徨する頭を、「今、ここ」に引き戻してくれる手段です。

 ・遍路は結局は一人になり、孤独を味わうために行くのです。でも孤立とは違います。絆や信頼を得たければ、煩わしさも引き受ける覚悟が必要です。絆と煩わしさはカードの裏表、どちらか一方は選べないのです。

・たとえば「春雨」「朧」「五月雨」「涼し」「野分」「時雨」などは気象学上の言葉ではないのです。長い歴史のなかで詠み継がれ、風雪に耐え、洗練され、先人たちの悲喜交々を抱えて残った一雫です。意味だけではなく、気配や匂い、情趣など質感が重要なのです。つまり意味によって支えられていないということです。

・俳句は「切れ」によって句の世界は一度分断されますが、その断絶が飛躍をもたらし、余白に余韻や余情を孕ませます。切れによって眼前の風景に加えて現実にはない世界を呼び起こすのです。

・遍路とは自分との和解なのだと思いました。和解を妨げるものは、「疑い」です。疑いを取り払い、自分も「愛」を受け取ることができるのだと諾った瞬間、和解の時が訪れたのです。

・フランクルは生きる意味についての問いを百八十度方向転換することが必要だと述べています。「私たちが生きることから何かを期待するのではなく、むしろひたすら、生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ」と言うのです。考え込んだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。身体を使ってひたすら歩くことは、歩く意味・生きる意味についての問いを百八十度方向転換させます。


2020年9月6日

「イタリアの地方料理」

若い頃、檀太郎の「新・檀流クッキング」のメニューを一つひとつ作ってみました。

和食や各国の定番料理が多かったように思います。

今思えばそのエネルギーと情熱に感心するばかりです。

     ◇

情熱の発端となったのは、伊丹十三や開高健の食の薀蓄であり、民族の考え方や調理法の多様さです。

知らないことばかりの自分には、ワクワクするような感動がいっぱいでした。

     ◇

絵画は目の前の原画を鑑賞しながら、作者の筆あとの一本まで気がつくことがあります。

それは作者の思考を想像することで、感動の世界へ誘ってくれます。

絵画の前で沈思黙考し想像するのは楽しいことです。

料理を作ることも同様だと思います。

無我の境地に没入し、乏しいながら得た知識と経験を引き出そうとします。

     ◇

近頃はイタリア料理をよく作っています。

その延長の地方料理の本で、レシピの掲載はありませんがアイデア満載でした。

”エ・ウルトレイア”という言葉があります。

「もっと遠くへ!」という意味で、行き着いたとしても、まだまだ先があるということです。

中途半端に満足せず、努力を続けなさいという叱咤激励でしょうね。

 中学時代の僕に、祖父が「いつまで経っても勉強だぞ」って言葉が頭を離れることはありません。


2020年8月27日

「鎌倉のおばさん」村松友視

若い頃、村松友視さんの講演を聞いた。文学の話はすっかり忘れてしまったが、別府の料亭で猪木さんとフグを食べて、猪木さんは肝を食べて舌がしびれながらも何とも言えず美味しかった、さすが猪木さんだと持ち上げていた。饒舌でユーモアたっぷりの話だったことを覚えている。「時代屋の女房」と「私、プロレスの味方です」くらいの印象しかなかったが、この本は人の内面を抉るような文章に加え、作家村松梢風の特殊な生活環境と病的な性癖を垣間見た気がする。

     ◇

この本を紹介してくれたのはAさんで、調べてみたら面白そうだったが、すでに絶版になっていたので図書館で借りた。面白そうだと思ったのは、やはり人の心にはさまざまな邪心が棲んでいると思うからである。それでも終始バランスをとりながら良識にそって生活をしているが、なかには芸術家のように常人には理解できない行動を、自分の分身のように喝采しほくそ笑む自分を見ることもある。

     ◇

村松友視の父梢風は火宅の人でありながら、絹江の言うことを素直に聞いた。バルザックを読んで小説の面白さに開眼した頃に病に倒れた。東大病院の廊下にただようゲルベソルテの香りが、梢風の死に似合っていると作者は思った。一生連れ添った妾の絹江。梢風忌で毎年違う金と銀の糸で織った帯を締める。その意味は、親戚の連中が妾のことをどういう目で見るか。梢風が死んだのに、鎌倉の家に一人で住んで、どうやって暮らしているかという目だ。女性の目というのは金や銀に向いてしまうものと断じる。だから、毎年違う織り方の帯を締めて行く。テーブルを縫って歩くとき、女性たちの目の高さを金と銀とが通っていくことになる。女性たちの目が金と銀を追っているのがよく分かる。女性の目は鋭い。去年の帯と違うことがすぐに分かる。すると、あの妾はどうしてあんなに羽ぶりよく暮らせるんだろうと悩む。それが絹江にとってたまらなく気持ちがいい。すべてこんな心理描写で綴られており、僕はそら恐ろしくなった。いかに自分が単純窮まりないかを思い知るのである。まあ、それ故に悩みもないが。

     ◇

僕と同時代ではないが、懐かしい名前が出てきた。学生時代の下宿は下北沢の北口から12分の距離で、世田谷区代沢だった。100m先には演出家の丸尾長顕の邸があり、晩年の梢風と親交があった。日劇ミュージックホールのプロデューサーでもあり、ジプシー・ローズなどの女性スターを輩出し一時代を築いた。彼もまた梢風の境遇と重なる。

s 生と死、愛と欲望、美醜の崖っぷちに遊びながら、紙一重の場所で生きているような芸術家たち。僕には到底理解できるようなものではないし、そういう環境に身を置くことすらためらいを持つ。正確に言うと面倒くさい。その面倒臭さを微塵も考えず、ただ本能のみで邁進するエネルギー。しかし、世間の常識を遥かに超えたところに小説の真髄があるとも言える。堕落、退廃、貧乏、虚偽、愛欲。やはり面倒くさいの一語に尽きる。


2020年6月15日

「女帝小池百合子」石井妙子

小池百合子さんが本を出版したときのことを印象深く覚えています。「振り袖、ピラミッドを登る」という本で、書店で手に取ってみました。カイロ大学卒業というのも異色でした。その後の活躍はめざましかったのですが、政党を渡り歩く姿勢や虚妄な言動に疑問や品性の無さを感じました。

アメリカのシンクタンクがある人の紹介で外国で彼女と会って、” No good ! “と烙印され、もっと優秀な方を紹介してほしいと言われたと或る政治家が話していました。その数年後に希望の党と某政党との喧噪を垣間見ながら、いずれ分かるだろうと思っていましたが、すぐに地に落ちてしまいました。

彼女のことに関しては、批判するよりも、事実を白日の下にさらし、それぞれが判断すればいいかと思います。東京が誤った方向に進んでほしくはありませんし、都民の利益が損なわれることがあってはなりません。少なくとも、東京に住む大切な家族の不利益を私には見過ごすことはできません。

「女帝 小池百合子」(石井妙子著)を読みました。ある評論家が、ひと言で言えば女性版ショーン・K物語ですと話していました。かなり長くて、ダウンロードして隙間時間を利用して読んだのですが、とても哀しくなりました。

この女性の「性」(さが)は、生い立ちはどうなっているのでしょうか。彼女を取り巻くさまざまな人たちの倫理の欠落、嘘に加担したメディア、検証なしの報道、沈黙の罪、誰もが分かっていることでありながらも、誰も論じようとしない日本社会が哀しく映りました。

彼女は創造性に溢れる奔放さではなく、単に自己欲に塗れただけの人間だから、出会った人を不幸に陥れてしまいます。

しかし、石井妙子さんが何年もかけて、綿密な取材をおこないました。この圧倒的な筆致のノンフィクションに、改めて敬意を表します。石井さんの文章は淡々として感情を排し、詳細で分かり易く、人々の心理や葛藤を克明に分析しながら描いています。

彼女の他のノンフィクションを読みたいと思いました。こんな素晴らしいジャーナリストがいることを久し振りに嬉しく感じました。

ただ、こういうことは危険が付きものです。充分な安全の確保を願わずにいられません。

とにかく素晴らしい本で、多くの著名人がお勧めしています。是非お読みください。

少しだけ本編から紹介してみましょう

・(阪神淡路大震災の一年後、)芦屋の女性たちが1996年、数人で議員会館に小池を訪ねたことがあった。窮状を必死に訴える彼女たちに対して、小池はマニキュアを塗りながら応じた。一度として顔を上げることがなかった。女性たちは、小池のこの態度に驚きながらも何とか味方になってもらおうと言葉を重ねた。ところが、小池はすべての指にマニキュアを塗り終えると指先に息を吹きかけ、こう告げたという。「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます?私、選挙区変わったし」(中略) テレビや選挙時に街頭で見る小池と、目の前にいる小池とのギャップ。小池の部屋を出た彼女たちは別の国会議員の部屋になだれこむと、その場で号泣した。

・足音を立てて、慌ただしく駆け込んできた。彼女は大声を上げた。「私のバッグ。私のバッグがないのよっ」。部屋の片隅にそれを見つけると、横田夫妻もいる部屋で彼女は叫んだ。「あったー、私のバッグ。拉致されたかと思った」。この発言を会場で耳にした拉致被害者家族の蓮池透さんは、「あれ以来彼女のことは信用していない」と2018年8月22日、自身のツイッターで明かしている。


2020年5月11日

「開高健名言辞典 漂えど沈まず」滝田誠一郎

以前は開高健氏の文章に感化されて、難しい熟語を多用したように思う。

長たらしい文章よりも漢字熟語の方が端的で的確だと感じていたが、限界を感じるようになった。

出口汪氏の引用。

”我々が普段使っている言葉というのは、所詮すべてが観念にしか過ぎない。ところが、我々が伝えたい事柄は具体的なものだ。だから、それ自体が一般的・固定的な観念である言葉でもって純個別的な事柄を正確に伝えようとすることは、そもそも不可能である。”

”たった一冊限りの週刊誌を示そうと思ったら、この週刊誌を指さすしかない。ということは、結局言葉ではものごとを示すことができない。これが言葉の限界ということ。(中略)歴史も同様で、正確に知ることは困難だと思っている。”

E・H・カーの「歴史とは何か」より、ジェフリー・バラクロウの引用。

”我々が読んでいる歴史は、確かに事実に基づいてはいるけれども、厳密に言うと、決して事実ではなく、むしろ、広く認められている幾つかの判断である。”

 私たちは、言葉の限界に辿り着いていない。

つくづく思うのは、伝達する力の弱さである。

目の前の事実を、いかに客観的に文章化して記録に留めるか。

主観を捨て、事実のみを冷静に伝える能力を養う。

頭のなかで考えることはたやすいが、書くことはやはり難しい。

しかし、書き続けることによって、観察や思考する力は明確となり、精度は増していく。

今回はこの辺でいいやではなく、今回も次も丁寧に思考していく。

横道に逸れることがなくなり、無駄は排除され、洗練されていく。

 考えていることと文章との言葉の隔たりを、いかに少しずつ縮めていくか。

僕が「書き続けることに意味を見出す」のは、こんなこと。

そういう意味で開高健の文章は、格調高く作家に近いと思うから魅力的なのだ。

では、ワインの箴言を。自身に、心せよ。

 ・ぶどう酒の鑑定は一つしかない。レッテルではなく、舌だ。(開口閉口)

・君がウマイと思えば、酒はそれで成就するのだ。(開口閉口)

・きみにとってうまい酒がうまいのである。それ以外の評価基準は何もない、というのが私の信念というか忠告です。(文芸別冊生誕80年記念総特集)


2020年5月8日

「ヘンリー・ライクロフトの私記」 ジョージ・ギッシング

若い頃は、ライクロフトの心境など知る由もない。

当然のように拾い読みとなって、記憶の片隅に追いやられていた。

久し振りに読んだ。

自然の美しさを描写する文章は、心にしみ入るような佇まいに思えた。

ふと、「夜郎自大」という言葉が頭を過り、取り返しのつかない恥ずかしい想い出がよみがえった。

夜郎とは漢の時代の小さな部族の名前で、漢帝国の大きさなど想像すらできなかった。

自大は自らいばり、無知ゆえに尊大な態度で振る舞う。

ライクロフトはそのような若い頃を経て、静かな日常にたどり着いたようだ。

境地に達したかのような澄んだ文章は、ホッとするような落ち着きで、それぞれの単語は美しく輝いていた。

 <メモ>

一晩ぐっすり寝てゆるゆると遅めに起き、年寄りの緩慢な動作で身支度を終えて、今日もまた日がな一日、静かに本を読んで暮らせると、晴れやかな心で階下に下りる。これがこの私、ヘンリー・ライクロフトだろうか。長いこと困苦に苛まれて息つく閑もなかった私、ヘンリー・ライクロフトがここにこうしているのだろうか。(光文社古典新訳文庫・P68)


2020年4月13日

「自発的隷従論」エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ

一連のコロナ対策で国の輪郭が分かってきたように思う。

誰もが感情の起伏の階段を上げ、心の奥に仕舞っていた蟠りをはっきりと発言するようになった。

疑問の残滓やそれに対する自己否定の葛藤を経て、やっと断罪するようになったのは、悲しくもあり晴れやかな気持ちでもある。

英国や米国、中国が常軌を逸するのではなく、日本の脆弱性を省みず、さりとて詭道も選択せず、人格の美徳だけに終始するのは、マッカーサーの12歳の言を俟つまでもなく、反論の余力さえ失せてしまいそうだ。

「仕方がない」に代表されるように、私たちは隷従の渦中にある。

 そう断言するのは滑稽だろうか。

側面的な認識を少しでも持ちたいと考え、この小論を再読した次第である。

 併せて、伊丹万作の「戦争責任者の問題」も読まれたい。

 <読書メモ> 

・確かに、人は先ず最初に、力によって強制されたり、打ち負かされたりして隷従する。だが、後に現れる人々は、悔いもなく隷従するし、先人たちが強制されてなしたことを、進んで行うようになる。そう言うわけで、軛のもとに生まれ、隷従状態の元で発育し成長する者達は、もはや前を見ることもなく、生まれたままの状態で満足し、自分が見いだした物以外の善や権利を所有しようなどとは全く考えず、生まれた状態を自分にとって自然な物と考えるのである。

・人間が自発的に隷従する理由の第一は、生まれつき隷従していて、しかも隷従するようにしつけられているからと言うことである。そして、この事からまた別の理由が導き出される。それは、圧制者の元で人々は臆病になりやすく、女々しくなりやすいと言うことだ。

・この自然という良母は、我々みなに地上を住みかとして与え、言わば同じ家に住まわせたのだし、みなの姿を同じ形に基づいて作ることで、いわば、一人一人が互いの姿を映し出し、相手の中に自分を認めることが出来るようにしてくれた。みなに声と言葉という大きな贈り物を授けることで、互いにもっとふれあい、兄弟のように親しみ合う様にし、自分の考えを互いに言明し合うことを通じて、意志が通い合うようにしてくれた。どうにかして、我々の協力と交流の結び目を強く締め付けようとしてくれた。我々が個々別々の存在であるよりも、みなで一つの存在であって欲しいという希望を、何かにつけて示してくれた、これらのことから、我々が自然の状態に於いて自由であることは疑えない。我々はみな仲間なのだから。そしてまた、みなを仲間とした自然が、誰かを隷従の地位に定めたなどと言う考えが、誰の頭の中にも生じてはならないのである。


2020年4月11日

「英語達人塾」斎藤兆史

高校時代に友達とfolksongのunitを作った。

Beatlesのacousticな曲もcopyした。

休み時間に二人で英語の歌詞を意訳していくのが楽しかった。

Johnの歌詞は熱さと抒情にあふれていた。

今まで英会話に何度も挑戦して挫折を味わった。

好きなことは続けられると思うが、学習の継続は困難を窮める。

歳を経て、そういう困難が少しだけ乗り越えられるようになった気がする。

もう一度tryしてみるか。

楽器の演奏と同様で、頭の刺戟にいいかもしれないな。


2020年4月11日

「日本資本主義崩壊の論理」小室直樹

コロナウイルス対策で政府が財政支出を決めた。

雇用維持や経済の落ち込み防止を願うばかりだが、果たして復活の兆しとなるような妥当な金額なのだろうか。

2018年の世界の名目GDP(単純加算)ベストスリーは、①アメリカ2,222兆円、②中国1,443兆円、③日本536兆円だ。

今回アメリカは、GDPの1割220兆円(9.9%)以上の財政支出を決めた。

日本は39兆円(7.3%)で、それを事業規模108兆円(20.1%)という言葉で表現した。

真水と呼ばれる財政支出だが、日本の277%に倣ってアメリカの事業規模を計算してみると、609兆円(27.4%)となる。

ただ、アメリカの財政支出は220兆円以上で、400兆円という話もあるようだ。

どちらの国もプライマリーバランスは赤字だが、さて、どちらの国が国民に親切なんだろう。

借金があっても、それ以上に財産があればもっと借り入れできると思うけど、なぜ政府はこんなに渋るのか、僕にはよく分かりません。


2020年3月30日

「こころ彩る徒然草」木村耕一

改めて口語訳を読んでみると、至らぬ自分にとって、耳の痛いことばかりだった。この本は座右の書としなければいけませんね。

ジョブズも読んだらしいと書いているが、日本の精神に憧れていたのかもしれません。

第32段 

客が家から出て行った後、玄関の戸をすぐには閉めずに、後ろ姿を見送りながら、しばらく月を眺める。

そっと見送りながら戸外に佇む光景は、心の余裕を感じ、素敵な女性だと思う。

こんな人いますね。簡素で言葉も身綺麗で、日本的だなと思う。

第56段

一方的に何もかも話し続ける人がいる。延々と聞かされるのは、実につまらない。

話題のなかで自分のことをつい例に出してしまう。自慢や卑下であっても、聞いてはおれない。

客観的に聞いていたら、やっぱり自慢や卑下に聞こえることがあるもんなあ。

第93段

なぜ、人は皆、心から生きる喜びを味わうことができないのか。

それは、「死」を恐れていないし、「死」が近づいていることを忘れているからだ。

命には限りがある。生を楽しもう。

第109段

高名の木登りは有名ですね。

間違いというものは、易しいところになってから、必ず起きるものだ。

第231段

最後に紹介するのは、料理の名人の話。

酒宴で、鯉を料理する人はいないかを聞かれて、百日間の修行中だから一日も欠かせないので是非させてくれと言う。

その場の皆は褒めそやしたが、その話を聞いた太政大臣は、「そんな言い方は嫌みに聞こえる。なぜ私にさせてくださいとだけ言えないのか。

わざとらしい作り話はするべきでない」と言った。

その辺りに、誠実さの加減を垣間見ますね。


2020年3月28日

「レジーム・チェンジ」中野剛志

特に印象的だったのは、マリナー・エクルズ。

ユタ州の銀行家から財務省に招かれ、フランクリン・ルーズベルトの側近となった。ルーズベルトは政府支出を減らし、財政均衡で景気を回復させると言って当選したが、エクルズの理論に納得し、ニューディール政策を打ち出し、経済政策を推し進めた。

「不況から抜けられる唯一の道は、購買力を必要としている人民の手に、それを与える政府の活動を通してである」と言った。

反対者の先鋒はバード上院議員で、国民一人当たりの債務が×××ドルに達していて、この借金は自分たちの子供や孫が返さなければならないと主張した。エクルズは、この債権を持っているのはアメリカ国民なのだから、国民全体が国民全体から借金をしているようなものだと反論したのだ。

エクルズはまた、戦争時に人命を守るため無制限に政府債務が使われるのと同じように、恐慌時にも失意と絶望から人命を守るために、無制限に財政出動を行うべきと考えた。

 (読書メモ)

・日本の経済財政上の最大かつ最優先の課題は、間違いなくデフレからの脱却。私たちは、財政ではなく、経済を健全化しなければならない。

・80年代初頭、アメリカやイギリスが直面していた経済の問題とは、デフレではなく、悪性のインフレだった。両国は、物価の下落ではなく上昇に苦しんでいた。レーガンやサッチャーが断行した新自由主義的な改革とは、インフレを退治するための処方箋だった。いわば、インフレを終息させるために、あえて人為的にデフレを起こすというのが、新自由主義的な改革の要諦だった。

・デフレとは、単に物価が下がるという経済現象にとどまらず、産業に悪影響を及ぼし、資本主義をおかしくし、社会を崩壊させ、政治を劣化させるという複合的な危機である。したがって、デフレを解明するためには、経済だけではなく、社会や政治、ひいては人間というものに対する理解がなければならない。ましてデフレを解決しようとするならば、社会科学の全般にわたる理解に加えて、歴史に関する知識、そして実践的な判断力もまた、求められることになる。デフレとは、単に経済学の知識があるだけでは、理解も解決もできない難問だ。

・世の中が悲観的になり、投資行動がなくなれば、資本主義は動かなくなる。資本主義とは、将来に対する楽観という社会心理の上に成り立っている。

・職業とは人生の大きな部分を占める。労働市場が硬直的であり、賃金が下方硬直的であるのは、労働者が人生を背負っていく職業人だからだ。労働市場を柔軟化するということは、いわば、人間という存在を否定することだ。

・ハイマン・ミンスキーの理論3点。

・ミンスキーは、資本主義の本質は金融にあると考えていた。資本主義と市場経済がよく混同されるが、必ずしも同じではなく、金融機能がない実物だけの市場経済は、資本主義ではない。

・投資家が富を増やせば、その恩恵が社会全体に行き渡るという考え方をトリクル・ダウンというが、実際には起きない。

・ロバート・レーンの研究によれば、生産活動とは、一般的に、組織行動や集団行動という形で行われるが、集団行動への関与は、人間関係に帰属することによって得られる他人からの評価や、仕事を通じて得られる自負心、自尊心あるいは能力の成長の実感などの幸福感をもたらす。

・デフレとは、人間の尊厳を破壊する失業を、恐るべきことに慢性化させるものであり、国家運営に責任を持つ者が何としてでも避けなければならない現象である。

・非効率な企業や人材が多く存在するから、国民経済全体が非効率なのではなく、デフレだから非効率なのだ。

・デフレ不況こそ、20世紀初頭に全体主義が発生した経済社会的な原因だ。ポランニーは「大転換」で、デフレが経済社会を破壊していった後に、「恐怖が国民の心をわしづかみにし、主導権は、最終的な代価がどのようなものであろうと容易な脱出口を指し示す者に押し付けられる。ファシストによる解決の機が熟したのだ。」と述べている。デフレとは、経済を麻痺させ、社会を崩壊させたあげく、民主政治を全体主義へと堕落させるという恐るべき危機なのだ。


2020年3月28日

「座右の古典」鎌田浩毅

筆者は京都大学教授で火山学者だ。

ド派手な服装でバラエティなどに出演するそうで、それは戦略らしい。

鎌田先生の学習法はフルマラソンで自己最高記録を出すことと同様の、段階的で精緻な戦略が網羅されている。

どうやったら伝えることができるか。相手が分からないのは頭が悪いからじゃない、自分の伝え方が悪いと試行錯誤する。

鎌田先生の古典遍歴のなかで、厳選50冊のエッセンスを解説。

たとえば「ソクラテスの弁明」で、無知の知を認識し、雲仙普賢岳火砕流の43人の犠牲者に思いを馳せる。

人生にとって邪魔なものをソクラテスは「ドクサ」と呼んだ。

ドクサは「人間を絶えず惹きつけるものだが、必ずしも幸福にしないもの」である。

”3行で要約!”のコーナー。

・何事も「自分は何も知らない」から始めよう。

・人生の「ドクサ」、地位、カネ、容貌、学歴にとらわれすぎるな。

・新しい知識や問題の解決には、意見をぶつけ合う「対話」こそが近道だ。

いやぁ、分かりやすかった。古典の入門書だ。

ヒルティの「幸福論」、神谷美恵子の「生きがいについて」を読みたくなった。


2020年3月28日

「いたずらの天才」 アレン・スミス

いたずらはときめきを覚える。

 いたずらは楽しい。

いくつになっても、いたずら心が抜けきることはない。

妻から幼児性を指摘されるが、僕は楽しいことが好きだから仕方がない。

中学生の頃の愛読書で、何度も読みながらあれこれと想像を巡らした。

一話ごとに頬がゆるみ、これは使えると目を輝かせた。

こっぴどく怒られたこともあったが、たいていは笑ってくれた。

現状を省みず軽率な言い方かもしれないが、今の日本社会には笑いが必要かと思う。

メディアに流されてしまって、一度の失敗を容認されるような社会ではなくなっている。

人は資本主義によって変節したのだろうか。

人の心はほぼ善性で占めていると思う。

しかし、僅かな邪心が頭をもたげることもある。

それは弱さかもしれない。

許されるものではないかもしれない。

結論。

やっぱり、いたずらを心がけよう(笑)


2020年2月19日

「真説・企業論」中野剛志

K氏は、希望に燃えて党を立ち上げ、その時に排除とかさらさらと正直に言ったら、途端にバッシングの対象となってしまった。

ご本人は率直に申し上げ、素の人格が出ただけで、さぞ面食らったことだろう。

選挙民への都民ファーストという言動は、グローバルな世界観でポピュリズムを扇動し、不寛容と無知とノー・センスそのものです。

そのとき、一時的に群がった政治家の無節操振りは、何も考えない堕した人間性を露呈したように思う。

小難しいことは人に任せて、利益享受を感じたら、それに乗っかる人たちの何と多かったことか。

自分もそういうところがあるから(笑)、反省としてしっかりと記録しておきたかった。

さて、本書の印象は上記の文章と関連し、著者は赤羽雄二氏の言葉を借りて、こう断じている。

「『日本人は自分の頭で考え、発言し、行動できない』というのは、近代的な『個』が確立していないということです。」

つまり、民主主義を理解していないということになり、それは無償で与えられた一方的な戦後教育のゆえでしょうか。

胸が痛くなります。

本書で論じたのは、次の5つのことです。(著者要約)

①アメリカはベンチャー企業の天国ではない。

②アメリカのハイテク・ベンチャー企業を育てたのは、もっぱら政府の強力な軍事産業育成政策である。

③イノベーションは、共同体的な組織や長期的に持続する人間関係から生まれる。

④アメリカは1980年代以降の新自由主義的な改革により金融化やグローバル化が進んだ結果、この40年間、生産性は鈍化し、画期的なイノベーションが起きなくなる「大停滞」に陥っている。

⑤日本は1990年代以降、アメリカを模範とした「コーポレート・ガバナンス改革」を続けた結果、アメリカ経済と同様に、長期の停滞に陥っている。

著者はベンチャー企業の創業者になったら、会社の寿命をできるだけ長くするという目標を掲げることを勧める。

イノベーションを殺す病の元凶は、短期主義にあり、「老舗を目標に会社を経営すれば、目先の利益に安易にとらわれることなく、長期的な視野に立って、従業員を大切にし、顧客との信頼関係を大事にするようになり、ひいてはイノベーションを起こすことにも成功するのではないか。」と結んでいます。


2020年2月7日

「雨月物語」上田秋成

短編九編から成る怪異物語である。

とは言うものの、怪異ではなく、人間であるゆえの虚しさ、友情、夫婦の愛情などを描写する。

私は幽霊が怖いので、そういう小説は読まないが、この物語はファンタジーだと思う。

菊花の約(ちぎり)の編。

播磨の国の加古で、つつましく暮らしていた丈部(はせべ)左門は、旅路の途中病に倒れた出雲の武士赤穴(あかな)宗右衛門を介抱する。

やがて二人は無二の親友となり、義兄弟の約を交わす。

赤穴は戦乱時の密使であり、用を果たし、重陽の節句、九月九日までに戻ると言って出立する。

しかし、赤穴は約束が果たせなくなり、途中で自刃して丈部の前に幽霊となって現れる。

約束とは、ことほど重たいものである。

この短編には、日本人の美徳、心づくし、振る舞い、素直さ、それらの大切さを感じることができる。

古典はやはり素晴らしい。


2020年1月24日

「やっぱり食べに行こう。」原田マハ

小説の取材で世界中を飛び回っているし、美術館員の頃も各地で勤務しているので、内外に精通している。

気になったのが「ホワイトオムレツ」。

オスカー・ワイルドの「サロメ」という戯曲に、ロンドンの「ザ・サヴォイ」というホテルが登場する。そこの朝食に出てくるのが、卵白で作ったオムレツで、筆者曰くエレガントでクセになる美味しさという。

卵白、塩、胡椒、生クリーム、バターだけで、泡立てないのがコツ。火加減はどうだろう。

作ってみたいが、さて残った黄身はティラミスしかないか。

スペインのバスク地方。

ここは海の幸、山の幸が交わり、フランスに近いので、ミシュランガイドの星付きのレストランが多数存在しているそうだ。そういえば、バルセロナ郊外にあったレストランのエルブリは、世界中のセレブが争って予約を取っていたとか。

いつか、スペインに行き美食の旅をしてみよう。待てよ、パエリヤなら、近くに美味しい店があるじゃないか。

この広い地球上には、たくさんの美味しいものがある。そんなにたくさん知らなくていいかもしれない。

ありふれたものの美味しさを味わうだけでいいと思うが、好奇心は拭えない。

「美味しい法則」野崎洋光

料理は科学だとプロの調理人は言う。

最も適した用法、容量で素材を変化させていく。

パラパラ炒飯を野崎さんのレシピ通りに作ってみた。

見事に美味しい炒飯が出来上がった。


2020年1月11日

〜若者を自由に〜

「日本進化論」 落合陽一

若い人と話していると、妙に嬉しくなってイキイキしてくる。エネルギーや希望を感じ、明るい気持ちになる。新しい言葉や音楽、便利なこと、普通ではない考え方、そういう自分の知らない世界が広がる。若い人は正直さと無関心さを持つが、何ものにも拘泥しないように見える。

対照的に、年輩の人と話していると、愚痴、停滞、そんな偏向性を感じ、開いた口が塞がらないこともある。もちろん、自分のことを棚に上げて言っているのはご容赦願いたい。 いつも思うのは、人の長所を探して賞賛するほうが人は伸びるし、明るい気持ちになれる。そういえば、養老孟司さんは、希望とは自分が変わることって言ってたなあ。

この本で印象的だったのは、あとがきに書いていたことだ。父の落合信彦氏が「週刊プレイボーイ」の連載でスティーブ・ウォズニアックと対談したときのこと。

「日本のハードウェアは最高だが、ソフトがいまいちだ」と言われ、打開策を聞いた。

ウォズはすぐにこう答えた。

「そんなの簡単だ。若者を自由にすればいい」

筆者は、あれから25年以上経っているのに、未来への投資が何もできていないことに悲しさを覚えると書いている。

これは全く同感で、私もずっとそう思っている。

もちろん、成熟した年輩の方の知識や経験という強みは大きいものだが、変化や新しいものには対処できないことがある。

今の日本をみていると、これでいいのだろうかと、あれこれ考えてしまい、結局分からなくなる。

そういうときは、宮台真司と小室直樹の会話を思い出すに限る。

宮台:「このままでは日本はダメになりますね」

小室:「宮台くん、心配することは全くない。社会がダメになれば人が輝く。三国志を読みたまえ」

やっぱり、小室先生は永遠に輝く人なのである。


2020年1月11日

「われ以外みなわが師」吉川英治

吉川英治が、大岡昇平、石坂洋次郎、石川達三、扇谷正三と料亭で飲んでいたときに、お品書きの「強肴」を、吉川以外の誰もが読めなかった。それで、吉川が、「しいざかな」と読みます、たぶんムシガレイが出るでしょうと言ったら、その通りになった。吉川は、高等小学校中退後に印刷工場で働いていたが、その頃百科事典を50回読んだそうだ。扇谷は、あの話は本当だなと後日口述している。

マルコム・グラッドウェルが書いた「天才!」に、一万時間の法則があるが、一つのことに費やせば常人は天才になるという。これには賛成で、どこまで打ち込めるか、好きになれるか、天才にはなれないかもしれないが、普通以上にきっとなる。

貪欲に、一心不乱に、死にもの狂いでという言葉は、今の時代はカッコ悪いかもしれないが、私はその姿勢が好きだ。いやいや、むしろそのカッコ悪さに、カッコ良さを感じている。なぜなら、それはその人の魂の言葉として、自分の魂が感じるからにほかならない。

誰でも、どんな人でも、素晴らしいものをきっと持っている。人間は、捉え方によって心理状態は変わっていく。そうであるなら、楽しい見方をした方が、明るくなれるに決まっている。

厳しかった父は亡くなったが、吉川英治を読む度に、厳しさと深い優しさが同居し、聖人君子と揶揄された父を思い出す。

<読書メモ>

〜青年馬上に棲む〜

・生涯一書生というのが、私の生活信条である。たとえ先生とか、大家とかいった言葉を以って他から呼ばれるようになっても、自分では飽く迄も一書生の気持を失わない、何処までも一書生の謙虚と精進とで貫いて行く。これが私の生活信条であり、又生活態度である。

したがって私には、一生一書生である者には、「疲れ」とか「倦(う)む」とかいったことはない。およそ、そうした類の言葉には絶縁である。又絶縁でなければならぬと思って居る。

・私には別にこれという「労(つか)れを知らぬ法」などの持ち合わせはない。「労れ」と縁を切ること、すなわち「労れ」を知らぬ法ではあるまいか。

・いつも高い山の中腹に立つ気持ち、そして頂上めがけて一歩一歩と踏みつづける気持、これが取りも直さず生涯一書生の気持であるわけであって、私の心は常にここに住して居る。

・ともあれ、伊達政宗の詩にもあるように。「青年馬上に棲む」といった気持、常に戦場に馳駆(ちく)し、奔走する気持、そこには、ハチ切れるばかりの精気と、活気と、それから余裕とが充ち溢れる。「労れ」もなければ「倦み」もない。

〜やさしい・むずかしい〜

・柳生石舟斎の極意書の奥書には、無刀と、たった二字しかかいてない。それも柳生家の流祖といわれた彼が年も漸く七、八十歳ちかくになってから悟ったことばなのである。剣、剣、剣、剣で生涯鍛錬工夫をつみかさねて来た人が最後に究極の真理として云ったことばは、無刀、でつくしていたのであった。

〜極意の歌〜

・うつすとも 水は思はず うつるとも 月はおもはず さる沢の池

死生の中に、一燦水の如く構えて、敵に対すときの冷徹極まる心境を、あの漣(さざなみ)もない猿沢の月と水になぞらえて訓(おし)えているのである。

・読誦百編すれば理自ら通ずといわれている。わずか一度や二度、眼に文字を映して、すぐ理性に訴えて、これを解ろうとしたところで到底その幽玄の理が酌みとれるものではない。名人達人が生涯を賭けて会得したものを唯一見しただけで安易に受け取ろうということからして、すでに無理なことである。

・誰が見ていようと、見ていまいと、映る月にも、映す水にも、何らの変わりはなく、何らの意思もうごいていない。しかもそのあるが儘な自然こそ、即、われわれの日常でなければいいけないことを深く思わせられて来る。

・そして自分のいま胸にあるところの、ふとした屈託とか、退屈とか、弛緩とか、愚痴とか、心の凝結にふと触れて、それが静夜の水の如く月の如く、自然に解けてあるがままの姿になり得れば、それで充分にこの極意歌の真の或る所まで悟ったものと云ってよいのではあるまいか。